櫻岡大神宮由緒
由 緒
仙台藩祖伊達政宗公、元和七年(1621年)に伊勢神宮よりご分霊を勧請し、宮城郡荒巻に祀り神明宮と称し伊勢堂山と号した。
伊達綱村公、天和二年(1683年)に伊勢堂山の規模を拡張及び社殿を改築し、社領二十貫文の地を加美郡四竈村に於いて寄進され更に祭祀料玄米五石、小豆一石一斗を寄せ、惣頭一名、足軽四十人、人夫十人を派して祭典を執行し、神事を衛守せしめ、殊に奉行職をもって代拝とし広く人々に参拝せしめ、累代の藩主継嗣の折りに参拝することを例とし、大小の造営は悉く公費をもって修築なされるなど 伊達家累代崇敬の社であった。
明治維新の神仏分離令により神宮寺を廃止して伊勢堂山より明治五年(1872年)、近く広瀬川の清流に臨み、前面に青葉山や亀岡を望む景勝の地(西公園内)にご遷座、大正十五年十月十七日(1926年)、現在の場所に社地を変更し、社殿を造営遷座現在に至る。
ご祭神について
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)豊受大神(とようけのおおかみ)ほか十六柱の御祭神がお祀りされており、全部でた十八柱の御祭神がそれぞれの御神徳をもたれております。天照皇大神さまは、私たちに生命を授けて下さった神様で、太陽のように限りない慈しみと御恵みをもって、私たちをお守り下さいます。豊受大神さまは、日本人の主食であるお米をはじめ、全ての衣食住を司る産業の神さまです。そのほかに、厄除け、方災除け、家庭円満、商売繁盛、病気平癒、建設工事の安全、竈・火の守護、学業成就等々の御神徳をもたれる神さまがお祀りされています。